僕の住んでいる場所

(アパートの正面にそびえるムーランルージュ )
二か月弱の外出禁止を経て、今週から証明書なしで外に出られるようになりました。
 やっと部屋から出られるー

僕の住んでいる部屋はいわゆる屋根裏部屋というものです。フランスのアパートの屋根裏部屋というのはその昔は使用人の部屋として使われていました。暗い廊下の隅に共同のトイレがあり、かつては室内に水道もひかれていない所が多かったそうです。
幸い僕の部屋にはキッチン、トイレ・シャワーがあります。

しかし生活スペースはベッド含めタタミ5畳分くらい。そこに食卓(リード机兼用)と楽器を置いて生活しています。
 、、、、まあまあゆとりあるのかな

ただ、風通しは悪く40℃を超えた去年の夏は外より暑かったです。天井に日光が直接当たるうえ下からの熱気も上がってきます。

とまあそんな感じの部屋に住んでいるのですが、3月の半ば。大家さんから連絡がきて、君の部屋のシャワーとトイレを修理するから、違う部屋に移動してくれと言われました。
動くのが嫌いな僕は渋々部屋と荷物を移動しました。まあ、三時間で全部移動できましたけどね(楽器・工具とコピー機、生活用品と保存食料以外に自分はほぼ何も持っていないと知りました)

ということで、この外出禁止期間、僕は違う部屋で二か月を過ごしました。
(僕の部屋の汚くて狭い生活スペース。このスペースで全てのことをやります)


新しい部屋は僕の部屋の4倍くらいの広さがありました。最初は、こんな広い部屋を独りでどう使えっちゅうねん。と思っていましたが、これが不幸中の幸いでした。
まず、買い物以外は基本的に外出しません。早朝の運動は可能でしたが、極力出かけないようにしていました。そこで、運動不足になるわけですが、新しい部屋は部屋を行ったり来たりするスペースがありました。僕は電話が好きで、友達といつも長電話をするのですが、その時間ずっと部屋を行ったり来たりすることで、毎日室内で5000歩ほど歩くことが出来ました。
下の部屋の住人の方、ごめんなさい。だけど友達だから、大丈夫!!

また、僕は期間中、多重録画をして遊んでいました。遊びに慣れてくると色んなアングルから撮ってみたくなり、広い部屋はそれが可能でした。SNSに一部の動画はアップしましたが、他にもずいぶん遊びました。人に見せるのはかなりのモチベーションだったし楽しかった。
隣人の勧めでイースターの日に窓からソロの演奏会もしました。
 
という感じで過ごしていたら、あっという間に2か月が過ぎました。この期間をどう過ごすかはとても大事だと感じていましたが、果たして実はあったのだろうか。
(フレンチカンカンを踊るダンサーとロートレックのポスター)

僕は完全にインドア派なので精神面での苦しさはありませんでした。
それでも行きたかったところがあり、今日30分ほど家の近くを散歩してきました。
 
そういえば僕のアパートはとっても面白い場所に建っています。今まで紹介したことはありませんが、写真と共に紹介します。
まず、
Q、僕の家はどこにあるのか??
A、ムーランルージュの正面!!!
これは色んな面で楽です。
 
どこに住んでるの?と聞かれたら。そう答えればいい。
帰るとき、人が遊びに来るとき。そこを目指せばいい。
あれ、自分の家って何区だっけ?まあいいや、ムーランルージュの前だし。
という感じでとおーっても分かりやすい場所に住んでいます。
 
赤い水車という意味のムーランルージュは有名な映画にもなっています。
1889年に誕生したムーランルージュ、第一次大戦や第二次大戦下でも営業を続けていたという、パリの中でも伝統的なキャバレーです。
フレンチカンカン(天国と地獄で有名なやつ)を含めた歌やダンスのショーが有名で、画家のロートレックが通いつめ演者をモデルにした様々なポスターを描きました。歌手ではエルビス・プレスリーやフランク・シナトラが活躍しました。

今でもパリ屈指の観光スポットであり、毎晩にぎわっていて、夜はお店の前がタクシーで溢れかえります。夜中の2時くらいまでクラクションが止まないなんて普通です。
 
と、ここまで詳しく説明した僕ですが、実は一度も中に入ったことがありません。だってディナーショーが30000円もするんですもの。お呼びでない、、、
去年のNuit Blanche(白い夜)というお祭りで一度外からダンスを見ることが出来ましたが、圧巻でした。
日本に帰る前に一度は中をのぞいてみたいなあ、、、
 
(スーパーの横に並ぶ光景)
正面にドカッとムーランルージュ。
その周りには何があるのでしょうか。
それがまた濃いんですよ。日本で例えるなら鶯谷や歌舞伎町みたいな感じ。
小さなショーパブ、風俗店、大人のおもちゃ屋がぎっしりと立ち並びます。
僕の家の前にあるスーパーの通りにはsex shopが5件くらい並んでいます。面白い光景ですよ。

最初に引越してきた時、夜の呼び込みの人たちが怖くて外は出歩けませんでした。ただ、本番の後などは夜になるのでイヤでも彼らに声をかけられます。僕は全員に「ソコ、ジブン、イエ」といって逃げていました。

住み始めて一年半、、、、
なんと全員顔見知りになりました。陽気な風俗店の呼び込みのおばさんは、「オカエリー♡」と声をかけてくれるまでになりました。
 
そういえば、芸大時代に一番長くうろついていた場所は鶯谷でした。美味しいラーメン屋あるし。
鶯谷ファンタジックブラザーズというトリオでの活動もしていました。
 
僕は色町に縁があるのかしら??笑
でも、住めば都とは言ったものです。
そんな街が今は大好きです。
 
 



僕の住んでいる場所はモンマルトルという、パリで一番高い丘のふもとにあります。
その丘の登り道、頂上にも素敵なものが沢山あります。
次回は僕の家から頂上まで10分で行ける、モンマルトルについて書こうと思います。

ファゴット・バロックファゴット奏者 長谷川 太郎

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