演奏家のファンになる

↑ファゴットの首席はロイヤルフィルで長年勤めたGwydion Brooke。最近僕は彼のファン。


2月の頭に流行りに乗っかりクラブハウスを始めました。今年の1月から世界で急激に広まったクラブハウスは音声SNSといわれています。ツイッターやFacebookのように文章や写真を投稿しそれが残る、という形態ではなく誰かが立ち上げた音声チャットに誰もが参加できるというものです。

大物有名人と僕のような一般人が直接会話出来る可能性がある画期的な仕組みで、普段関わりのない自分とは無縁のジャンルの人の声を生で聞けます。画面を見続けないで音声だけ楽しめるので、2月はクラブハウスをやりながらリードを沢山組みました。クラブハウスリードはなかなか良好です。実はもう飽きてしまってあまり見なくなったのですが笑


そこでクラシック音楽家のチャットをいくつか聞いていたのですが、興味深いことがありました。


どうやら世の中にはCDやコンサートチケットを買う時に演目、曲目で選ぶ人がかなり多いという事。


僕はというと、CDなどを買う時にほぼ最初に演奏家の名前を見る。そして商品を購入したあとに「おお。この人はこんな曲を録音しているのか、楽しみだな」などということを考えるのです。この違いには個人的に驚きました。というか、自分に。僕は自分の選択の仕方が当たり前だと思っていました。



そこで僕がいつからCDやコンサートを演奏家の名前を見て選ぶようになったかを考えました。

↑子供の頃よく足を運んだ池袋の東京芸術劇場

根本的な理由は特に深く考えることもなく分かりました。それは僕の音楽家としての生い立ちです。

両親がアマチュア管弦楽団に所属していた僕は、幼稚園のころからコンサートホールでクラシック音楽を聴いていました。
幼稚園生の頃は「ホールに入ったら寝ていて良いからね」と親に言われずっと寝ていた記憶があります。それが原因、、、かは分かりませんが今でもホールでコンサートを聴きに行くと3分の2くらいはぐっすりと寝てしまいます。チケットを買い足しげく通うにも関わらずww

しかし小学生になったころにはオーケストラや演奏家をじっくり観察するようになりました。なぜそうなったのか??

それは親が各楽器のメンバーについて、その人の性格、演奏、物語について楽しく説明してくれたからなのではないかと考えました。「今日のブラームスの交響曲のホルンパートは〇〇さんだよ。この旋律を〇〇さんに弾かせたら右に出る人はいないね!」

そのような話を聞くうちに僕は曲そのものよりも、演者や楽器を観察するようになりました。演奏を聴きながらその人の物語を想像すると、同じパートの楽器から出てくる音にも、それぞれの違いを感じるようになります。

テレビでオーケストラが映っている時もそのような見方をするようになりました。今日は前にも聴いたことがある曲だけど違う人が演奏しているなあ。全然違うなあ。

↑小学生の時からファゴット奏者が気になっていたCD

僕の小中学校時代は野球部で音楽はやっていませんでしたが、6年生のころからクラシックのCDを聴くようになりました。その時には既に無意識に裏面やブックレットで演奏家の名前を確認していたと思います。

どのCDのどの楽器をだれが吹いていた、というのは明確に記憶していて、5年10年たってから、このオーケストラで演奏しているのはあのCDの人だ!と気づくことがあります。逆にCDで気になっていた奏者の名前を後で知るパターンもあります。

もしかしたら一般的に音楽を聴いていて、ここはあまり気にする所ではないのかもしれません。しかし僕の中ではかなり大事です。

どこどこのオーケストラの19〇〇年、ダレダレ指揮のチャイコフスキー、ヴァイオリン協奏曲。その情報の中で1stオーボエの人、ファゴットの人は?それが一番重要な情報であり得るわけです。その人のソロの演奏を聴きたい、どんな人か知りたい。という欲求はそのCDを聴いたときから持ち続けています。

小学校6年生の時からファゴットソロパートを聴くために繰り返し聴いていたアバド指揮ヨーロッパ室内管、ソリストはピレシュのモーツアルトのピアノ協奏曲17番。
そのファゴットがマシュー・ウィルキーだと知った高校3年生の僕は歓喜しました。すぐに彼の他のCDを買いあさり、大学4年の時はオーストラリアに直接レッスンを受けに行きました。思っていた通りの素敵な人でした。
そういった理由から、僕にはそのCDで誰が演奏しているかどうかが凄く重要なのです。


コンサートを聴きに行くときも同じです。これは純粋に音楽そのものを聴く態度と違うという見方もあるかもしれませんが、だれが演奏するかが大事です。オーケストラを聴きに行く場合、今日のクラリネット1stは〇〇さんだ、ワクワクするな、等と考えます。

知っている人がいないオーケストラの場合は全体を観察して気になる演奏家を探します。僕の家からすぐに聴きに行けるパリ管弦楽団は素晴らしい奏者の宝庫。というか全員が魅力的で、いつもどのパートをだれが吹くのだろう?と期待しながらホールに向かいます。
中でもトランペットと打楽器のファンになってしまって、いつも舞台裏の席から彼らを観察しています。(もちろんの事ファゴットパートもサイコーです!


室内楽のコンサートなんかも演奏家を見に行きます。個々がしっかりと聴こえる室内楽はその人自身の物語が垣間見えるようで特別な楽しみがあります。そのため室内楽のコンサートには演者のプロ・学生問わず聴きに行くことが多いです。
↑18世紀フランスのファゴットの名手エティエンヌ・オズィ
演奏家にたいする想いは最近なお強くなっています。特に50年前100年前の人たち。

僕はSPやLPレコードを直接聴いたことはあまり無いのですが、最近はその時代の録音がYouTubeにあがっていて聴くことが出来ます。彼らの演奏は現代の感覚からしたら多少あらけずりな所があったりしますが、何ともいえないスゴみを感じることがあります。

僕は最近、彼らの人生にとても興味が沸き、その時代の奏者についての本を読むようになりました。またその世代の先生達、その世代と関わったことのある先輩たちに会うとどうしても昔の話を聞いてしまいます。それは単純にとても楽しい。

その中で感じた彼らと僕らの違いは、(月並みな考えですが)電子機器や便利の無い時代を必死に生きたこと。音楽と本当の意味で向き合える時間が違ったのではないかと感じます。彼らは現代クラシック界のメインレパートリーとなっている作曲家たちと直接関わっている。また、だれも録音していなかった曲たちを熱量を持って最初に世に送り出している。


彼らの昔の録音を聴いていると明治、大正の時代小説を読むときのように見たことのない昔の世界を想像してしまいます。僕は彼ら演者の名前が書いてある音源を見つけるとき、古本屋で宝物を見つけたような感覚になるのです。



最近はその気持ちがエスカレートし、また古楽を勉強していることも相まって200年前、300年前の演奏家を想像しています。新鮮なクラシック音楽に溢れた時代を生きた彼らは、100年前の演奏家よりもさらに凄かったのではないか??
その時代のファゴット奏者の音源は残っていませんが、ありがたいことにいくつかの教則本があります。彼らが書いた楽譜を見ながら、僕は200年前の演奏家のファンになるのです。
 


現在は世界がパンデミックに見舞われ、音楽を表現できない時間が続きました。このまま暗い世界が続くのかと思いました。
しかし日本のSNSを見ていて創造的な演奏家が少しずつアクションを起こしていることを知りました。演奏を直接聴くことは出来ませんが、彼らが少しずつ世界に希望を与えているように感じます。
もちろん純粋に音楽を表現している彼らですが、僕はそこから現代を生きる演奏家の物語を想像してしまいます。

彼らが行動を続ける限り演奏家のファンであることはやめられませんね。

僕にもファンがつくように頑張らないと!!

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